こんにちは。名古屋市中村区にある日蓮宗 岩塚の妙行寺です。

3月11日に妙行寺では大体的にしたわけではないですが東日本大震災殉難物故者霊位の追善供養のお経をあげさせていただきました。
喉元過ぎれば熱さを忘れるではなく、先の震災を教訓にいつ起きるかわからない震災に備える必要がありますね。
名古屋も東海地震がいつきてもおかしくないと言われています。

日蓮宗青年会の会合で、お寺は公共の場所という側面も強いので震災用の備蓄品は自分たちの分だけでなく困っている人を助けられられるように多めに準備をするようにとアドバイスを頂きました。備えあれば憂いなし。たくさん準備しておこうと思います。

さて、話は変わりますが私はツイッターをやっています。(お気軽にフォローしてください @myougyouji)そこで見かけた話題ですが、【3月11日に浮かれているのはけしからん!】というツイートでした。なぜ浮かれてはいけないのでしょうか?もちろん、悲しい思いをした人々がたくさんいますし、今でも困っている人もいるでしょう。誰かの悲しい日でも誰かの嬉しい日でもあるです。浮かれてお金を使うことが巡り巡って被災地、被災者の皆さんの役に立つと思います。むしろ、3月11日は東北を楽しむ日みたいにしてしまって、浮かれて東北観光したり、うかれて東北からお取り寄せしたりするぐらいのほうが”うかれてけしからん”よりよっぽどいいのではないかなと思うのです。

私の家族に東北の人はいません。しかし、檀家さんの親戚の方が東北の方でお話しを伺いました。忘れて蔑ろにしろと言いたいのではありません。建設的な悲しい日とする時期が来たの思うのです。