日蓮宗とは

日本仏教の宗派の一つ

日蓮宗は、鎌倉時代に「日蓮聖人」によって開かれた宗派です。法華宗、日蓮法華宗と呼ばれていた事もあります。

さまざまな災害や戦乱で混沌としていた時代に、世の全ての人々を救い、この世界を安穏な世界にする為に生まれた日蓮宗は、現在でも多くの人々に信仰されています。

お釈迦様が説かれた、諸経の王と位置付けられる妙法蓮華経(法華経)こそが最上のお経であるとし、この経典を大切にしております。法華経はお釈迦様の心そのものを表したもので、題目である「南無妙法蓮華経」の7文字に法華経の功徳が集約されていると日蓮聖人は説かれています。

私たち日蓮宗はこの法華経とお題目を信仰の根本とし、人々の幸せ、世の安穏を祈っています。

お題目の意味

お題目とは南無妙法蓮華経です。これは、南無と妙法蓮華経に分かれます。南無は「帰依する」という意味で、妙法蓮華経に帰依しますという意味です。お題目を唱え、法華経に帰依していくことで私たちの心の中にある仏様が目覚め、どのような人でも仏の道を歩むことができるのです。

日蓮聖人の御生涯

1222年(承久4年)2月16日 安房国長狭郡東条郷片海(現在の千葉県鴨川市)の小湊で誕生。幼名は「善日麿」であったと伝えられている。父は三国大夫(貫名次郎重忠)、母は梅菊女。誕生の地に建立されたお寺が誕生寺である。

1238年(暦仁元年)清澄寺にて出家し「是生房蓮長」の名を与えられた。 

1245年(寛元3年)比叡山・定光院に住した。京都や奈良の寺を遊学する。

1253年(建長5年)清澄寺に帰山。 

1253年(建長5年)4月28日 日の出に向かい「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。(立教開宗)名を日蓮と改める。

1260年(文応元年)7月16日立正安国論を著わし、前執権で幕府最高実力者の北条時頼に送る。安国論建白の40日後、他宗の僧らによりが草庵が襲撃されるも難を逃れる。 (松葉ヶ谷法難)

1261年(弘長元年)5月12日、幕府によって伊豆国伊東(現在の静岡県伊東市)へ配流(伊豆法難)。

 1264年(文永元年)11月11日、安房国小松原(現在の千葉県鴨川市)で念仏者の地頭・東条景信に襲われ、左腕と額を負傷、門下の工藤吉隆と鏡忍房を失う。(小松原法難

1271年(文永8年)9月 平頼綱により幕府や諸宗を批判したとして捕らえられ、腰越龍ノ口刑場(現在の神奈川県藤沢市片瀬、龍口寺)にて処刑されかけるが、処刑を免れる(龍口法難)10月 評定の結果佐渡へ流罪。流罪中の3年間に『開目抄』、『観心本尊抄』などを著述。また法華曼荼羅を完成させた。

1274年(文永11年)春に赦免となり、法華経を立てよという幕府に対する3度目の諌暁をおこなう。5月7日には身延一帯の地頭である南部(波木井)実長の招きに応じて波木井郷(身延入)へ入る。 6月17日 身延山久遠寺開闢。

1282年(弘安5年) 9月8日、波木井実長の勧めで実長の領地である常陸国へ湯治に向かうため身延を下山。10日後の弘安5年9月18日、武蔵国池上宗仲邸へ到着。 10月8日、死を前に弟子の日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持を後継者と定める。この弟子達は、六老僧と呼ばれるようになる。 10月13日辰の刻(午前8時頃)、池上宗仲邸にて御入滅し61年(満60歳)の御生涯を閉じられました。御入滅の地である池上邸は現在の池上本門寺である。